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昭和のシンボル 東京タワー~新しくて懐かしい令和大改革:読んで分かる「カンブリア宮殿」

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テレ東

2022.6.23 カンブリア宮殿

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コロナショックから回復~近場の客が戻ってきた


昭和のシンボル、東京・港区の東京タワー。1958年に開業、これまで延べ1億8500万人が訪れている。映画やテレビで怪獣たちに何度壊されても立ち上がる。まさに戦後復興の象徴として人々を励まし続けてきた。

そもそも東京タワーはテレビやラジオの電波を送信する電波塔として作られた。しかし、地上デジタル放送への切り替えにより、2013年、テレビの電波送信はスカイツリーへ移行。今では緊急時のバックアップと一部のFMラジオの送信などを担っている。

電波塔としての収入は激減し、観光収入に頼るしかなくなった。そこに追い打ちをかけたのがコロナショック。メインターゲットだった外国人や地方からの観光客も激減。来場者は9割近くも減り、瀕死の状態に陥った。

ところが、去年あたりから状況が変わり始めている。東京近郊からのお客が戻ってきているのだ。

ゴールデンウィークに訪ねてみると大行列ができていた。開催されていたのは「台湾祭」。カラフルな小籠包や、鳥胸肉を1枚丸ごと揚げたダージーパイなど、人気の台湾グルメが大集結。子供に人気なのが台湾名物のエビ釣りだった。

東京タワーとしては苦肉の策でこのイベントを始めたという。会場はもともと駐車場。以前は観光バスでいっぱいだったがコロナでガラガラに。空いたスペースを活用しようと始めたのが「台湾祭」だった。

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「普段使いしていただけるように。首都圏の方々が気軽に立ち寄れるイベントやサービスを提供していきたいと考えています」(東京タワー企画・広報、澤田健)

海外や地方からの観光客が減ってしまった東京タワーは、近場の客の「普段使い」の場に活路を見出しているのだ。

TOKYO TOWERは行政の機関ではなく民間企業。創業は1957年で、155人の社員がタワーの管理やイベントの企画・運営にあたっている。

社長・前田伸(59)は、「東京タワーは必要性がなくなったらいずれ消える運命。みんなで工夫して、とにかく閑散とした東京タワーから、少しでもお客様に来ていただける場所にしよう、と」と言う。

そこで社員が知恵を出し合い、近場の客を呼び寄せる新企画を打ち出した。

例えば、「オープンエア外階段ウォーク」は、今まで休日だけだった展望台までの外階段を毎日開放。600段ほどを登山気分で登ってもらう。途中途中に休めるスペースもあり、外だから密にもなりにくい。チャレンジすると認定証がもらえるが、認定証は10種類もあり、全部集めようとリピーターも増えている。

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展望台の窓の前には、以前はカウンターと柵があったが、3年前に取り払い、窓にピッタリつけるように。だから車椅子でも下までよく見える。展望台には伊勢神宮の神様をお招きした神社「タワー大神宮」もある。

展望台でも近場からお客を呼び込む新企画が。オープン前の朝8時半に始まったのはお茶会「朝茶の湯」。朝、絶景を見ながらお茶を楽しんでもらおうと、2年前から始めた。お点前をしているのは東京タワーの社員たち。お茶会のために裏千家の資格を取ったという。

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昔ながらの土産品、ライトアップ...~懐かしさと、夜に映える塔が客を魅了


東京タワーの収益を支えてきたのが土産品店だ。

新しくなったオフィシャルショップの人気の土産品ベスト3は、第3位・ルービックキューブ風の「キューブパズルキーホルダー」(470円)、第2位・東京タワー型の「東京タワーミネラルウオーター」(390円)。第1位は「タワー大神宮御朱印」(300円)で、季節の花や富士山があしらわれていて女性に大人気だとか。

昔ながらの土産品店もいまだ健在だ。開業当初の戦後復興期からある店もあり、日本人形や掛け軸は未だに人気なのだという。

「戦後復興期の香りがまだ残っている。店主がリタイアしたり、閉店するケースがありますが、大切に保存させていただいてます)」(前田)

夜の東京タワーの魅力といえばライトアップ。1989年から始まり、東京の夜景を大きく変えた。

以前はタワーの輪郭に沿ってライトが点るだけで、電球が切れると「みっともない」と苦情が来ることもあった。そこで白羽の矢を立てたのが、レインボーブリッジや浅草寺のライトアップで知られる世界的照明デザイナー・石井幹子さん。石井さんはこれまでにない照明で東京タワーに新たな価値を生み出した。

「昼間の太陽光線は上から照らしますが、ライトアップは下から照らし上げる。普段見えていないものが、夜また新しく見えるのがポイントなんです」(石井さん)

こうして当時珍しかった建物自体を照らすライトアップが実現。さらに、タワーの骨組みに自由に色が変えられる電球も設置。例えば5月だと五月晴れをイメージした空色に。月ごとの限定カラーは、東京の夜に季節感をもたらした。

ちなみにライトアップにかかる1日の電気代は「約2万1千円」(東京タワー施設管理部・高橋延尋)。180個ついている電球は「1000ワットで1万2000時間もつ」(同)という。満月の夜には、月明かりを際立たせるために上半分を消すという配慮もしている。

ライトアップを近年は収益にも繋げている。それは企業のブランディング。世界的ブランド「GUCCI」によるジェンダー平等への願いを発信するキャンペーンでは、それを象徴するカラーにライトアップした。

「東京タワーを遠くから見る人や来訪した人に、過去の思い出が転がっているよ、でも未来へ繋がる新しい世界もあるよと見せるのが、東京タワーの役割かもしれないです」(前田)



世界一高いタワーを目指せ!~「命綱なし」職人の心意気


1950年代半ばに高度経済成長期に入ると、テレビが徐々に家庭に普及し始めていく。当時は各テレビ局が独自に電波塔を建てて放送。視聴者は、チャンネルを変えるたびにアンテナの向きを変えなければならない。電波塔の乱立は景観を乱すという問題もあった。

そこで、当時の郵政省は各局の電波塔を統合した総合電波塔の建設を構想。その実現に名乗りをあげたのが、前田の父・久吉だった。久吉は産経新聞の前身「日本工業新聞」などを創設し、「大阪の新聞王」とも呼ばれた人物。「これからは観光の時代」と、目指したのはパリのエッフェル塔を超える、世界一高いタワーだった。

「久吉はとにかく人を集めたり、人を動かす仕掛けに非常に関心があった。東京タワーは観光が表で電波塔は裏側。おそらく電波塔だけだったらこの事業をしなかった」(前田)

財界から資金の支援を受けた久吉は1957年「日本電波塔」(現TOKYO TOWER)を設立した。設計者はタワー建築の第一人者、内藤多仲。パソコンはおろか電卓もない時代に、内藤はわずか3ヵ月で1万枚以上にのぼる図面を手計算で書き上げた。

受注は竹中工務店。工事期間はわずか1年半。大型クレーンもなく、ほとんどが手作業で行われた。鉄骨をつなぐ鋲(鉄の留め具)を800度に熱して放り投げ、金属の筒でキャッチ。冷めないうちに打ち込んでいく。これを何十万回も繰り返した。

そして300メートルを超える未知の高さ。そこでの作業を担ったのが腕利きのとび職人たち。しかも命綱もつけずに、幅30センチにも満たない鉄骨の上で作業を続けた。

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そのとび職人のひとり「黒崎建設」会長の黒崎三朗さん(88)は当時22歳だった。

「当時はクレーンがないし命綱なんかない。怖いも怖くないも、それでずっとやってきているから、そういうものだと思っていた。途中で命綱とヘルメットを支給された時は、重いし、嫌で嫌で」(黒崎さん)

当時、工事に参加した主なメンバーの記録が残っている。誰もが職人の意地と誇りをかけた。

「向こうっ気だけは強い。この仕事にだけは誇りを持っている」(黒崎さん)

こうして予定通り1958年12月、高さ333メートル、当時としては世界一高い東京タワーが完成した。総工費およそ30億円。関わった作業員は延べ22万人に及んだ。

久吉が作った展望台は、東京観光の目玉として爆発的な人気を呼んだのだ。

マザー牧場との意外な関係~「潰しちゃえ」論で反骨魂


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国内屈指の観光牧場として知られる千葉・富津市の「マザー牧場」。広大な敷地には16種類900頭もの動物たちが暮らしている。前田は「マザー牧場」の経営者でもある。

「私が最初に経営者になったのがこのマザー牧場。マザー牧場でのんびり家業を継ごうと経営者としてスタートしたんです」(前田)

東京タワーの完成を見た久吉は、千葉県・鹿野山にある施設を作ろうとしていた。

「(父の久吉は)兄弟が8人いて、家族は食べていくのが大変で、久吉の母親がよく働いていた。牛1頭でもいればもっと楽に農作業ができたし牛乳もとれたという思いがあったんです」(前田)

亡き母に捧げるため、久吉はその土地に牧場を開設。名前を「マザー牧場」にした。

牧場ができた1962年、現社長の前田が生まれる。慶應大学を卒業し、大阪銀行に入行。エリート街道を歩んでいたが、父・久吉が亡くなると、92年、30歳で「マザー牧場」を引き継いだ。

しかしそのころ、バブル経済が崩壊、牧場は存続の危機に陥った。なんとか突破口をと、前田が乗り出したのがニュージーランドの牧場との提携だった。

現地を視察した前田は「マザー牧場」に「アグロドーム」という屋根付きの木造の建物を作った。「雨が降ると団体客がほとんどキャンセル。なかなか経営が安定しなかった」(前田)からだ。

この室内施設では、世界各国から集めたおよそ20種類の羊の紹介や、本場ニュージーランド仕込みの毛狩りショーを行った。さらにステージの奥は巨大なガラス張りになっている。雨でも屋外のショーを楽しめるように改良した。

他にも「トラクタートレインで巡る牧場ツアー」といった体験型アトラクションなど、前田は集客に結びつくアイデアを次々と打ち出し、「マザー牧場」を関東有数の観光地に変えていった。

2005年、日本電波塔の社長を務めていた兄の富夫が急逝。前田が急遽、電波塔の社長も兼務することになった。就任早々、関連会社に123億円もの負債が発覚する。前田は銀行時代の経験を生かし、すぐさま遊休資産を処分、債務の返済に充てた。

だが、東京タワーにさらなるピンチが。地上デジタル放送への移行を機に、東京に新たな電波塔を作る計画が浮上したのだ。2006年、新たな電波塔の建設が決まる。メディアからは「なくなるのか」という問い合わせが相次いだ。

「当時の風潮として、東京タワーはもういらなくなるだろう、経営はダメなんだろうというような雰囲気は感じていました」(前田)

電波塔の収入がなくなれば、観光収入を増やすしかない。前田は持ち前の発想力で、社員とともに集客のアイデアを振り絞った。

地方の自治体と組んでさまざまなイベントを企画。夏には水遊びスペースを解放し、子供たちを呼び込んだ。かつて蝋人形館があった場所には今年4月、日本最大規模のeスポーツ施設「RED°TOKYO TOWER」を誘致。本格的なレーシングシミュレーターや、親子で楽しめるVRアトラクションなど、東京タワーに興味のなかった若い客を取り込む起爆剤となっている。

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夏の夜には、展望台を天の川のイルミネーションで飾るイベントも打ち出した。

2011年の東日本大震災では、節電で真っ暗な東京の夜に、「GANBARO NIPPON」というメッセージを点し続けた。今年、ロシアによるウクライナ侵攻が始まると、「PEACE」と平和へのメッセージを発信している。

東京タワーはいつも人々を元気づけてきたのだ。

※価格は放送時の金額です。

~村上龍の編集後記~
東京タワーはレトロな感じがする。世界的な照明デザイナーのランドマークライトも、7色に変化するダイヤモンドヴェールも、その美しいシルエットをレトロに見せている。レトロに見えるから新しいのだと思う。フォルムが女性的で、そのすべてが優しく感じる。戦後から10年しか経っていない時期、ソニーやホンダがやっと現れた頃に、ほぼ人力で建てられた。日本中のとび職の気合いと郷土愛が詰まっている。レトロな美しさは、そうやって作られた。

<出演者略歴>
前田伸(まえだ・しん)1962年、東京都生まれ。1987年、慶應義塾大学卒業後、大阪銀行へ入行。1990年、日本電波塔(現TOKYO TOWER)取締役就任。1992年、マザー牧場代表取締役社長就任。2005年、日本電波塔代表取締役社長就任。

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※このページの掲載内容は、更新当時の情報です。

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カンブリア宮殿

カンブリア宮殿

ニュースが伝えない日本経済を、村上龍・小池栄子が“平成カンブリア紀の経済人”を迎えてお伝えする、大人のためのトーク・ライブ・ショーです。

放送日時:テレビ東京ほか 毎週木曜 夜11時06分放送

出演者

【メインインタビュアー】村上龍【サブインタビュアー】小池栄子

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